ある日のどうくつの風景です。
全身を泥まみれにしながらも、一人の少女―――アンはほくほく顔でした。なぜならば彼女が抱えているカゴの中には、お目当てである銅や銀などの鉱石がぎっしりと入っていたからです。
どうやら今日の収集作業はすこぶる調子が良かったのでしょう。
しかし、鼻歌でも歌いそうなほど機嫌の良かったアンに、突如悲劇が襲い掛かりました。
上機嫌が油断を生んだのか、足元をよく確認していなかったアンは、ごつごつとした出っ張りに見事にけつまづきました。そしてカゴの中身をぶちまけつつ盛大にすっ転んでしまったのです。

「うぎゃー!」

なんとも女性らしからぬ叫びをあげ、地面との対面を果たしたアン。膝や肘に感じるしびれるような痛みを耐え忍び、なんとかその波を乗り切った彼女は、そこではたと気付きます。

「……あ」

寡黙な傍観者―――リオンの存在に。

しかも、なんということでしょう。アンが勢いよく放出した、いや、せざるを得なかったたくさんの鉱石が、彼の小洒落たブーツの周りのみならず彼の足自体をも埋め尽くしていたのです。

「……」

ゆったりとした動作で、わずらわしげに、足元に視線を落とすリオンを目にしてアンの視界は真っ暗になりました。
どうしよう。どうしよう。あたし、売られる!
それは冷静に考えればとんでもなく失礼で、そして極端の過ぎた被害妄想に他なりません。ですが、日頃笑顔のえの字もなく、交流のこの字も見当たらないリオンにアンが抱いているイメージが『怖くて謎の多い人』だったことを考えれば仕方ないのかも知れません。
ついには小刻みに震えだしたアンを横目に、リオンは盛大な溜息をお見舞いしました。それに思わずアンの肩が大きく震えてしまいます。しかし目の前の青年は、彼女を怒鳴りつけるでも激怒して詰め寄るでもなく、その場に屈んで鉱石を拾い始めたのです。

なんてことでしょう!

リオンが彼の周囲の鉱石を淡々と集め、彼女のそばに転がっていたカゴに無造作に放り込み、そのままアンには一瞥もくれることなく立ち去るまで。アンはずっと、呆然としていました。


それからと言うもの、リオンが気になって仕方なくなってしまったアン。
どうくつへ通うことは変わらないまま、そこに新たな習慣が加わったとするなら、それは間違いなく彼のいる牧場をチラリと瞳に映すようになったことでしょう。
羊の毛を、思いのほか優しい手つきでくしけずってやっていること。牛に語りかける横顔が穏やかであること。作物の収穫を、とても生き生きとした瞳で行っていること。
一度でも、リオンのそんな隠された表情に気付いてしまえば、アンが今まで抱いてきたイメージが大きく間違っていたことは容易に判りました。

それでも、誰かが彼の牧場を訪れた途端、リオンの顔がサッと色を塗るように厳しいものに変わるのを目にして、アンは一抹の寂しさを胸に覚えるのでした。


それから数日後の出来事です。
いつものように意気揚々とどうくつへ向かっていたアンは、一つの光景を目撃しました。
ぽっかりと開いたどうくつの入り口の奥、薄暗いそこにぼんやりと二つの人影が見えます。先客がいるのかと思いながら近づくにつれ、その人物が誰であるのかが判明しました。

リオンと、そして、揺れるツインテールがトレードマークの―――ティナです。

立ち尽くすリオンの横で、地にへばりついているティナ。そこから推測される状況などアンには一つしかありません。きっと数日前の彼女と同じことをティナはやってのけたのでしょう。
アンは既視感を覚えつつもやや歩く速度を速めました。リオンのティナに対する異常なまでの冷たい対応は、村人全員の知るところだったからです。
アンは以前ほどリオンに対して怖いイメージを抱いているわけではありません。
ですが、それでも、数日前の出来事は、今まで殆ど接点のなかったアンだったから無事に済まされただけなのかも知れないと考え、早く行かなければ今度こそ本当にティナが売られてしまうと焦りを覚えたのでした。

しかし、いよいよ駆け出しはじめたアンの足は、反転、ぴたりと止まってしまいます。

足元に転がっている鉱石を拾うところまでは、以前と全く同じ光景です。
けれど今日のリオンの行動には続きがありました。ティナの周囲に落ちている鉱石まで手際よく、全て拾い集めたかと思えば、なんとそのままティナを引き起こしてやったのです。
しかも彼女の服についた泥まではらってやるという、アンには決してしなかったオマケつきで。
されるまま身を任せているティナは、なにかを口にして照れたように笑います。
ここでいつもなら―――村人ならば誰でも、ティナの発言に対し冷徹な言葉を打ち返すリオンを容易に想像するでしょう。

けれどもリオンがしたのは、ティナの頬を自らの服の袖でぐいと拭うという行動でした。
遠目にもそれが、ぶっきらぼうながらも、優しさに溢れたものであることが判ります。

「…っ」

アンの胸を、ツキンと微かな痛みが走り抜けました。
それ以上二人を見ていられなくて、アンは俊敏に、けれど気取られないように踵を返します。もしもあと一瞬アンの判断が遅ければ、乱暴にティナの頭に帽子を被せるリオンの、照れたような表情を目の当たりにしていたかも知れません。


「おかえり、ずいぶんと早かったね…って、ア、アン、どうしたんだい?」
「え?なんでもないよ!」

がらくた屋に入るなり父の心配そうな声がアンを引き止めます。
アンは懸命に笑顔でごまかそうとしましたが、親の愛とは偉大なもの。アンの様子が普段と違うことなど一瞬で見通してしまったマイケルが無言で、けれども優しく頭を撫でると、彼女の大きな瞳からは、耐え切れなくなった涙がぽろりと零れ落ちました。

「な…も、もしかして、痛かったかい?怪我でもして―――」
「違うんだよ、お父さん……痛いよぉ…」
「ど、どこが痛むんだい!?」

慌ててアンの身体をくるりと回し、愛娘の痛みの原因を探すマイケル。そのあまりの焦りっぷりが面白くて、申し訳ないと思いつつもアンは笑ってしまいました。

「こ、今度は笑うのかい?一体、どうしたんだい?」
「うん……多分ね」

痛みと笑みがない交ぜになったままアンは呟きます。

「多分ね、……失恋」

エッ!?失恋だって!?

見事にひっくり返ったマイケルの声が可笑しくて、アンは今度こそ笑い転げます。脳裏に残るあの光景を思い出すと胸は痛みますが、それでもアンはなぜか幸せを感じました。それは人間に対しては鋭い顔ばかりしていたリオンの―――優しい眼差しを見られたからかも知れないと思いました。


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