整頓された部屋を一度ぐるりと眺めて息を吐いた。 綺麗好きな彼女には珍しくない手入れの行き届いた部屋は、今はむしろ手入れが行き届きすぎて空っぽに近い。 扉の横に積まれたダンボールが辛うじて彼女の存在を示していた。 大きく音を出したつもりの溜息は、がらんどうの部屋に静かに融ける。 「…本当に、行くんだな」 最後のダンボールにテープを貼り付けていたクレアが、グレイを振り返らずにふっと笑った。 「指輪まで貰っといて、『今までの話は冗談です』なんて言わないわよ」 地べたに正座した華奢な背中。両手の動きは淀みなく、この地で過ごした全てを閉じ込めるように流麗にダンボールに蓋をしていく。 開きっぱなしの扉にもたれ、静かにその様を見つめていたグレイは、テープを貼り終えた箱を、これで終いだと言うようにクレアがぽんと叩いたのを合図にゆっくりと彼女に歩み寄った。 差し込む影に気付いた少女も立ち上がり、緩慢に青年を振り返る。 けれど視線は合わない。 「片付け完了」 「ああ」 「別にあたしが頼んだわけじゃないけど、まあ、一応、手伝ってくれてありがとう」 「…礼くらい素直に言えよ」 心持ち目線を逸らしたままクレアは礼を言い、グレイは彼女らしい言い回しに微苦笑する。元より無理に手伝いを申し出たのは青年だった。 沈黙を挟む。 換気のために開け放たれた扉から、窓から、ミネラルタウンの豊かな、そして柔らかな匂いを含んだ空気が抜けていく。 そのたびにこの家からクレアという、目の前の少女の面影や気配が薄れていく気がしてグレイはぶるりと身震いをした。 クレアは、そっと、笑う。 「……もういいよ」 グレイは、ぐっと、拳を握り締めて。 「俺は、…俺は。全然、整理できないよ」 吐露した言葉はあまりに今更であまりに説明がなく、けれど端的なそれには青年の葛藤がこれでもかと詰め込まれ、要領不足でぽろぽろと感情が溢れ出している。 クレアは聞きたかった。 できることなら、もっと早く、彼のこの言葉を。 「あたしは、行くわ」 他の町で彼女の到着を待つ一人の男性のためにクレアは笑った。 赤らめた頬と、懸命に紡がれた告白が彼女の凝った心を溶かし温めてくれたのは確かな事実で、だからこそ彼女はその手を取ることを選択した。 残されたのは青年の未練。 「行ってほしくない」 「……ごめんね」 「…っ行くなよ!」 「痛っ」 微動しないクレアの意志に焦れたグレイが、彼女の華奢な腕を強く掴んだ。クレアは驚き、身を硬くしたけれど、わなわなと震えるグレイの手の感触を知って力を抜く。 ああ、ごめん。ごめんね。 こんなにも想ってくれていること、気付けなかったあたしにもきっと。 「俺を、見てよ」 腕を拘束されてもまだ見返さない少女にいよいよ青年は強硬手段に出る。頬にてのひらを添えられた彼女は顔を振り抵抗するが、鍛冶の修行で鍛えられた彼の腕力に敵うなど元より考えていない。 あっと向き合わされたグレイの双眸からは、言葉などでは語りつくせない激情が多量に溢れていた。 あとどれくらい前にこうしていたなら、その胸に素直に飛び込めただろう。 「…もう、遅いの」 「クレア…!」 「もう遅い、遅すぎたの、二人とも」 左頬に添えられた、グレイの右手にそっと触れる。手の甲に感じるリングの冷たさに青年は一度だけ顔を歪ませて、静かにクレアを解放した。 「……不幸になれよ」 「…あんまりな挨拶ね」 「お幸せに、なんて死んでも言うか」 後退したグレイの歩数分、二人の間に距離が敷かれる。 「不幸になって―――俺んとこ来いよ」 寝ぼけたような汽笛の音がミネラルタウンに響く。 再び小屋を吹き抜けた風は、今度こそ町からクレアの気配を拭ってしまった。 BACK |