好きだという、気持ちを抱いた瞬間のことは、割合はっきりと覚えている。


「ジュリさん、あたし、きれいになりたい」

出会った時から、自分の見目形になんててんで無頓着で、土まみれだって平気な顔をして駆け回っていた少女が、ある日突然こう言いのけた。
その驚きときたら、ジュエリーボックスから、今日のファッションに相応しい装飾品を選別していたジュリが、思わず手をとめて背後のアカリを振り仰いだほどだった。

「アカリ」
「…な、なに」
「…アナタ、熱あるんじゃないの」

違うよと、目を吊り上げて反論するアカリには申し訳ないけれども、今までの少女の無頓着ぶりを充分に見ている青年には、それほどまで意外な言葉だったのだ。
無論、美しくあれと訴えたことは幾度もある。むしろ最初の頃のジュリは、アカリに対しそれしか言ってこなかったと言ってもいい。だけれどもアカリは牧場主という自分の職業を言い訳に、いつもいつも、青年の言葉を受け流していた。いつの間にかジュリも、アカリはこういう人なのだと認識してしまっていて、それでも二人の友人関係は良好に継続されていた。

それが、突然に、先ほどの申し出である。

「あのアカリが、キレイになりたい、だなんてねェ…」

ようやっと本日のネックレスを決めたジュリは、ぱたりとジュエリーボックスを閉じながら、考え付く理由について思いを巡らせてみた。
実際、女性が美しくなりたいと思うきっかけなんて、考えればすぐにいくつかの選択肢に絞り込むことが出来た。

ジュリの家、ダイニングチェアに腰掛けて、アカリはずっとジュリの背中を見つめているのだろう。背筋にチリチリと視線を感じる。選び取ったネックレスを装着し、紫色の毛髪を綺麗に整えてから、ジュリはゆっくりとアカリを振り返った。


「アナタにもとうとう、春が来たのねェ」
「え」


ぱああっと、少女の頬が紅潮する。
分かりやすすぎる反応に、青年は口角を薄っすらと持ち上げた。その微笑みは祝福のつもりだったのだけれど、心のどこか、違和感があった。

「…?」

違和感の正体が分からずに、自らに首を傾げる。
アカリは確かにジュリの友人であり、青年の嗜好や考えなどについても偏見というフィルタを介さない、貴重な存在だ。そんな大切な人に、ようやっとめでたい話が浮上したのだから、これが嬉しくないわけがない。
違和感など、どうして感じる必要があるのだろう。

「…唐突過ぎて、一瞬キャパを超えたのかしらね」
「何の話?」
「何でもないワ。気にしないで。それで、相手は誰なのヨ?」
「えっ、あ、あい、相手って別に、そんなんじゃ…!」

ますます頬を染めるアカリの正面に、ジュリも流麗に腰掛けた。指輪のたくさんついた、繊細そうな指先を組んで、少女にゆったりと微笑みかける。
けれどもまた、どこか奥底のほうで心が摩擦する感覚。

「なにその何でもお見通しですみたいな微笑!ほ、本当に違うよ」
「アラ。その割には、うろたえているじゃない?」

自身の違和感には耳をふさぎ、感覚を遮断して、ジュリはアカリをからかうことに努めた。けれど少女の言葉は青年の心を浮かばせることはなく。

「…、ジュリさんの、ジュリさんの予想はね、半分当たってるよ」
「半分?」
「うん。半分だけ」
「…つまり、アカリのほうは好きだケド」
「向こうには恋人がいるの。片想いなの。…全然春なんかじゃないの」

思いのほか哀愁が込められたアカリの科白が、二人しかいない空間に響いて消える。悲しい余韻は、ジュリの心の摩擦を益々増長させてしまった。

「なのにね、いきなり、気づいちゃったんだ。心臓に何かを打ち込まれるみたいに…」
「―――自覚したのね」
「……そうしたら、なぜか、無性にきれいになりたくなったよ」

もう擦れあいすぎて、煙が立ち昇ってきた気さえするのに。


「何かが、咲いちゃったみたい」


ようやっと、その言葉は自分にも当てはまるのだと自覚した。


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