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G o u t

天才には二つの種類がある。
一つは文字通り天から与えられた才能、天賦の才と呼ばれるそれ。
一つは可能性を見出し努力の末に掴み取った、血と汗の結晶。

若年ながら天才パティシエと呼ばれたカールは、自分を取り巻く騒ぎの中一人冷静だった。周囲は彼を前者の意を含む天才として口々に褒め称えたが、彼がそれにのぼせ上がることはなかった。
何故ならカールは知っていたからだ。

本当の天賦の才というものが、どれほどすごいものであるか。


*-*-* 柔和でいられない、硬質でいたがり屋 *-*-*


「…こんなものかな、っと」

最後の花瓶に花を生け、全体をざっと見渡した青年は満足げに頷く。
こじんまりとした室内には一本足の丸テーブルが三脚設けられている。それぞれ縁にレースが縫い付けられたテーブルクロスと、白くなめらかな輝きを放つ陶器の花瓶、そしてそこには先程摘んできた花を飾りつけた。
上品なそれらの品々はどれもが調和していて我ながら上出来だと思った。


花の芽村。
スーパーもコンビニもないこの小さな村に、移住しようと決めたのには理由がある。
それは長年、名も噂も聞かなかった少女の存在を確かめるためだ。自分をこの道へと導いた大きな存在で、カールの目標でもあった少女。
居場所を知ったのは奇跡だったとカールは思っている。偶然仕事仲間に、彼女が滞在すると思われる村の名を漏れ聞いて。それからの彼の行動は迅速だった。

―――青年の決断に、決意に込められたのは一抹の望み。

退職願を出した時、何人もの先輩や同輩に、行かないでくれと引き止められた。周囲から見た青年はそれほどまでに実力者だった。けれどカールは料理長にすると言われても、給料を上げると交渉を持ちかけられても決して首を縦には振らなかった。
なぜあのような村に行くのか、お前の器には小さすぎると言った者もいた。
カールにしてみればそれは不要な心配だった。何故なら今までの自分の地位や名誉を、切り捨てる覚悟はとうに出来ていたから。


抜かりがないことを確認して、最終点検を終えたカールはその場で目を瞑る。大きく静かに息を吸って長く吐き出す。それを三度繰り返してゆっくりと瞼を持ち上げた。

新しい自分の人生がここから始まるのだ。
真新しい扉のノブに手を掛けてそっと回した。


「…え」


無意識に声が漏れる。
微かに瞠目した少女の姿がそこにあった。

癖のない茶色の髪を肩にこぼし、こちらを見つめる少女の右手は何かを握り締めるような形で空に留まっている。察するに、恐らくほぼ同じタイミングで、彼女の手もノブへと伸ばされたのだろう。
扉を開けた刹那に鉢合わせた少女の、落ち着いたブラウンの瞳が、ゆっくりと瞬かれたことでようやくカールは我に返った。戸のこちら側では先程まで瞑目し、精神統一していたことを少しだけ気まずいと感じながら、そんな気持ちは悟らせないように自然に笑みを作る。

「いらっしゃいませ。お客さんかな?」
「…、ええと……はい…」
「キャラウェイ一番乗りの称号はキミのものだね。ささ、入ってよ!」

妙に歯切れ悪く答えた少女は、店に案内しようとするカールに小さくかぶりを振った。

「あの…違います。エレンが」
「え?」
「…もう一人、今、お財布を取りに帰ってて…だから、一番はその子です」

神妙な顔で説明している少女に、カールはついくすりと笑う。
馬鹿にしたわけではない。むしろ、そんなことを丁寧に説明する少女はきっと真面目な性格なのだろうという好意的な感情からきたものだった。しかし、青年の微笑をどう受け取ったのか、眉を寄せた少女にカールは慌てた。今度はこちらが弁解する番のようだ。

「ごめん。真面目な人なんだなあと思っただけで、他意はないよ」
「…そうですか」

簡素な返答。どうやら少女はあまり口数の多い性質ではないらしい。
しかも今は財布を取りに行っている友人に義理立てをしているのか、先に店に入る気配もなく、かと言って帰るでもなく、扉付近に立ち尽くしているのみだ。
客が来ることが判っている以上、その場を離れるわけにいかないカールも必然的にそれに付き合う形になり、少女と違いお喋り好きな青年は時間潰しのために少女に提案した。

「そう言えば、おいらたち初対面なんだよね。お友達待ってる間に自己紹介でもしようよ。おいらはカール。キャラウェイのマスター兼パティシエってとこかな。キミは?」
「…パティシエ?」

刹那、少女の表情が、顔色が―――変化した。

「そう!…っても、この服じゃウェイターみたいだけどね」

それに気付き、訝しく思いながらも殊更明るくカールは振舞う。頭を掻いてあははと笑いながら、さも話の流れのようにごく自然に、それでキミの名前は、と訊ねた。

「…わたしは…」

俯き言葉を濁す少女に、カールの背を緊張が走った。
パティシエという単語に異常な反応を見せたことが、青年に余計な期待を抱かせる。憧れと目標の念を抱いていたその名を、忘れたことなど片時もなかった。少女の唇が小さく開いて震えたが何も発さない。早く―――早く、名前を。
けれど焦れるカールの心に、答えをもたらしたのは少女の言葉ではなくて。


「ティナ!」


心臓が飛び跳ねた。
興奮を覚えることを、青年は止められなかった。


「ごめんなさい、待たせちゃって。先に入ってくれてて良かった……あら」
「…エレン」
「ティナ、この人は?お店の方?」

小さく頷く少女に、言いたいことや訊ねたいことが青年にはたくさんあった。それでも平静を保っていられるのは、間違いなく今現れたショートカットの少女のおかげだった。
長年の接客で培われた表情筋は今も健在のようで、逸る心を抑えつけ、エプロン姿の彼女に人懐こい微笑みを向けていた。

「おいらはカール。この店のマスター兼パティシエなんだ。よろしく」
「私はエレンって言うの。青空牧場の娘でそこで働いてるわ。動物と料理が大好きで、今日このお店が開くのをとっても楽しみにしていたのよ!こちらこそよろしくね」
「エレン、…わたし用事が、」

二人が自己紹介をしあっている間に、じわりじわりと距離を広げていたティナが、エレンの言葉に一区切りついたところを狙っていたように言葉を挟んできた。けれど内心焦ったカールが咄嗟に引き止めるより早く、エレンの腕がガシッとティナの手首を掴んでいた。

「ダメよ、今日は午後から私に付き合うって約束でしょう?」
「そ、だけど」
「大体、あなたの嘘なんてお見通しなんだから。いい加減その人見知りをなおしなさい!」

エレンがやけに慣れた手つきなのは、これが日常茶飯事だからだろう。
推測していたカールの前に、彼女によって背中を押し出されたティナが気まずげに立つ。ぎこちなく視線を泳がせ、こちらと目を合わせようとしないティナに、それでもカールは笑顔を意識してそっと手を差し出した。

「よろしく。…ティナ、さん」

声が、手が、震えていないかどうか不安だった。


―――ティナ。


長い間ずっと、探していた人。その人が持つ名前。決して長くはない単語を、本人に向けて紡ぐことが、こんなにも緊張を伴うものだとは知らなかった。
喜び。疑問。達成感。戸惑い。様々な感情がない交ぜになってカールを硬くさせる。

伸ばされたてのひらを、しばらく凝視していたティナはやがてゆっくりと面をあげた。

「いらない」
「…え?」
「握手、なんて…いいです」
「ちょっと、ティナ…!」

きっぱりと言い放って二人に背を向けるティナ。今度はエレンにも引き止めがたかったのか、呼び止めはするが先程のように腕を捕らえることはしなかった。

「ご、ごめんなさい!あの子本当に人見知りが激しくて…!でも、悪い子じゃないのよ」

気の優しいエレンは、ティナを追いたいと思いつつも、無礼な対応をとられたカールを放っておいてはいけないと考えているらしかった。結果、小さくなっていくティナの背と、その場に立ち尽くしているカールを交互に見やってオロオロしている。
あまりに戸惑った様子に、ティナの冷たい態度にショックを受けることも忘れて青年は申し訳ない気持ちになった。

「気にしないで。エレンさんは悪くないさ」
「で、でも」
「もしかしたら、エレンさんが来るまで二人で喋ってた時に、おいらが何か不快なことを言ったのかも知れないし」

それでも眉を寄せているエレンに、カールは入口を塞いでいた己の身をずらして店の内部を解放すると、大げさな身振りを加えながら茶目っ気たっぷりに宣伝する。

「それより、キャラウェイの開店を楽しみにしててくれたんだよね?今日はオープンセールってことで、先着十名様にケーキセットを無料サービス中なんだ。だから寄って行ってよ!」
「……それじゃあ、お言葉に甘えて」

ようやく綻んだエレンの表情に安堵しながらも、カールはティナのことを考えていた。
少なくとも、青年がある言葉を発するまでは、少女の態度はあそこまで硬質ではなかったはずだ。パティシエ―――自身がそれなのだと宣言するまでは。

青年をその道へいざなった少女は、明らかに青年を拒絶していた。



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