こわばりがほぐされる。
彼を構成する細胞一つ一つが温もりを享受して生気を取り戻す。

青年はそうやって生きている。


::: insensivel :::


荒れた息を整えながら教会の長椅子を見下ろした少女。
深呼吸を繰り返す少女の前で、つくりものめいた端正な顔をさらして青年は丸くなっている。

そんな気がした。呼ばれているような、求められて、いるような。

青年の格好は、母親の胎内で護られている、胎児を連想させるようなそれだった。
決して広くはない長椅子の上で膝を抱えて。あくる日を待ち出ずるかのごとく。

脇に膝をつき、陶磁のようになめらかな頬のラインを指でつとなぞった。と、長い睫に縁取られた瞼は一度ぴくりと痙攣して動く。深い、深い、沈みこみそうな色合いをした宝玉が姿を現して、そしてそれは少女の姿を目に留めるや否やわずかな光を含んで輝いた。

危機感を覚えるほど無邪気で、どこか朧気な青年の微笑み。

お待たせ、と少女が言うと、青年はただ少女の首筋に鼻を摺り寄せた。
待っていない、とも待ちくたびれた、とも受け取れるあどけないしぐさ。
柔らかな栗色の髪を撫でつけて、少女の手はそのまま青年の背へと回された。一見すると女性のようなかんばせをした青年は、けれどやはり青年で、少女のか細い両腕で事足りるほど華奢な体躯ではない。それでも少女は全身で青年を包みこもうとする。

青年に、なるだけ多くの温もりを与えるために。

ほう、と。青年の薄い唇から息が漏れた。冬場にかじかんだ指先のように、ごわごわとしていたこわばりがすこしずつ、ゆっくりとほどけていく。そうするにしたがって、ぶらりと垂れ下がっていた腕をもたげて、青年も少女を抱き寄せるのだ。
オーバーオールの内側で、少女の小さな膝こぞうがすこし擦れた。
青年の片腕は、つやめきを放つ金髪を乱して、細くなだらかな肩に到達する。こうなるともう、少女が抱きしめていたはずが、抱きしめられていると言ってよかった。

青年の刻むリズムと、世界の鼓動は悲しいほど異なっている。

元来内向的な青年にとって、そこから生じる差を埋めるために急くことは拷問に等しい苦痛だった。そして彼の器官はつま先から徐々に稼動を緩めていった。それはあくまで精神上の話だが、少女は初対面で―――その日も長椅子に横たわっていた―――彼を屍と勘違いしたほどだから、その相違が青年に与える影響は一笑にふせるものではなかった。

いつからだろう。
青年の顔に翳りが浮かぶと。彼の精神が停止の準備を始めると。少女は駆けつけて彼に体温を分け、息を吹きこむようになった。どちらかが乞うたわけでも、押しつけたわけでもなく、以前からの約束事のようにすんなりと二人の間に浸透したこの行為。

 君とこうしていると、

ほぐれきった喉を震わせて青年は独白する。

 痺れるんだ。
 神経をいたぶられるような不快なモノじゃなくて、朝、緩やかに目覚める時に味わう心地いいまどろみが、じわじわと全身に沁みこんでいく、そんな感覚。
 そうしてようやっと、僕の全細胞は酸素を受け入れることが出来るんだ。

光を受け白く輝く瞼を伏せて少女は優しく紡ぐ。

 けれどそれじゃあ、わたしがいなかったら、あなたは大変だわ。

そうだよ、と青年は少女にうなづく。
そして呟いた。


 だから…、僕は多分、君によって生かされているんだと思う。


不意に、泣きたいくらいの切なさが少女を襲った。
理由は判らない。もしくは、判りたくないだけなのかもしれない。

小さな身体は身震いする。それでも、腕の力を弱めることはしなかった。


こわばりがほぐされる。分け与えられた体温に、脳の奥がジンと痺れる。
酸素を供給される水槽の金魚のように。
彼を構成する細胞一つ一つが温もりを享受して生気を取り戻す。

青年はそうやって生きている。

青年はそうやって生かされている。



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20070903:加筆・修正