駆け抜けてく背中には金色の光。

いつも立ちくらむ。それでも目が追いかけてしまう。
眩しい世界に融ける、少女の存在を。


::: ゴールデン・ワールド :::


 わたし、船が難破してここへ流れ着いたの。

初めて挨拶に行った日、まるで今日の夕飯のメニューを言うように、少女はあっさりと言った。

 だからどうというわけじゃないの、この町に、ぽっと湧いちゃったような人間だけれど、仲良くしてくれたら嬉しい。

瞠目する青年に言葉を続けて、にっこり、そんな擬音が相応しいような笑顔と手のひらを向けてきたから、彼もドギマギしながらズボンで手のひらを拭って、華奢なそれを握り返した。

一目見たときから、つかみ所がない人だと思った。
瞳を見れば、賢くて頭の回転が速そうだと判るのに、どこか無知で無垢そうな危なげがあって。少女が登場しただけで場の雰囲気を一変させてしまうようなオーラを持っているのに、不意に目にする彼女の気配は希薄で、少しの風にも消えてしまいそうに見えた。

有体に言えば、青年にとって、とても放っておけないタイプで。

初対面での握手。
最初にして最後と言っていい接触だったけれど、青年の心の奥底で少女は確実に、「どうというわけじゃない」ことなどない存在となっていた。


それからいくらかの時が過ぎたけれど、青年と少女の関係は微塵も変化のないご近所さんのまま。祭りなどで遠目に見る少女は誰を伴うことも、誰に伴われることもなく、いつも凛と一人だった。

安堵しつつ、尚更もどかしく感じる距離感。

もてあましながらも少女を意識することをやめられずにいたから、彼女がやってきた年の秋口、その雰囲気がぐっと変わったことにすぐ気付いた。以前まではふわりふわりと浮き、漂っていた気配が、定位置に根を張ったような。そんな変化。
同じ頃から、時折懸命にどこかへ駆けていく姿もよく目にするようになった。
出不精なのか、あまり牧場から出ない少女に街中で遭遇できることを考えれば、青年にとって喜ばしい変化だ、なんて思えたのは最初のうちだけで。

次第に、気になるようになった。

彼女の向かう先が。

街でばったり会えるとて、少女は急いでいる様子だから、いつも彼は声をかけられずに終わった。仮に相手が悠々歩いていたとして、気軽に声をかけられないでいるからこそ、今のこのもどかしい関係になってしまっているのに。

対向から軽快な足音が聞こえる。それだけで青年の心臓は跳ね上がった。いつも、俯きがちな姿勢で歩く彼が、この時ばかりは背筋を伸ばして足音の主を見つめた。

少女が走ってくる。

やあ、どこに行くの。今日こそはと小さく開いた口から、漏れる言葉がないのは毎回のこと。
いつだって少女は、青年のまごつきや葛藤になど微塵も気付かず横をすり抜けて行ってしまう。

残された彼が見つめるのは彼女の後姿だ。
長く伸びた金の髪が、小さな背中の上で軽やかに踊る。滑らかな毛髪は少しの光も跳ね返すから、青年の目はそのたびチカチカと眩みそうになる。

―――まぶしくて、遠い。

金の光を追おうなんて無謀なこと、どうして考えたのか判らない。

けれど青年の胸にとどまるのは、もう長いこと、抱えてきた恋慕だった。
抱えたままになるのは嫌で。たまらなく嫌で。

初めて、駆ける少女に近づこうと踏み出した。

想像よりずっと軽やかに弾む身体に、ああ、自分は今までずっとこうしたかったのだと感じた。



 ここに入った、よな。

少女が呑み込まれて行った、教会の扉。
繊細な装飾の施された手すりを握り締めて青年は一度息を吐く。

何を言葉にするかなんて一つも考えていない。
ただ君が眩しかったから、追いかけずにいられなかったと、馬鹿みたいな軟派な台詞だけが頭の中ぐるぐると巡っていた。
青年は普段馴染みのない場所だけれど、少女の雰囲気にはぴったりと合致する場所。
この中で彼女はいつも、何をするために、何故急ぐのだろう。

それだけが気になる。ずっと気になっている。

意を決して、手すりを引いた。



息を呑むという表現は、こんな場合にこそ相応しいのだと思った。



ステンドグラスから差し込む光に照らされた少女の髪が、きらめいて、きらめいて。
白い頬にかかる青いガラスの色のせいで、頬は青白く彩られていたのに、決して病的ではなくむしろ神々しさすら漂う。微かに身じろいだ少女の背、さらさらと音が立ちそうなほど滑らかにすべる髪。

それを、くしゃくしゃと乱す無骨な手があって。
ようやく青年は気づく。

少女は、誰かを、抱いていた。

掻き抱く彼女の腕の合間から見えるものは、柔らかそうな茶髪。
見覚えがあった。額と眉が垣間見えて、青年は確信する。

 あいつだ。

同じ宿に泊まっている、いつも死んだような瞳をしている男だった。
その人のてのひらが、華奢な少女の背中を強く引き寄せて、少女も応えるよう腕の力を強くする。

いわゆる嫉妬という感情が心を焼いたのはほんの一瞬で、青年の胸はたちまち切なくなる。柄にもなく、泣きそうにもなる。
まるで魚が水を求めるように。教会で抱きしめあう二人の姿は死に物狂いに見えた。ぱくぱくと喘ぎ苦しみ、二人合わさらなければ呼吸の仕方をも忘れてしまうように青年に映った。

それほど必死な姿。

やがて少女の腕から顔をあげたその人の顔は生気に満ちていて、青年は目を見開く。そんな表情は、青年が初めて目にするものだった。
対する少女の気配も、心許ないものではなく。青年は彼女の変化の理由を知る。


 息を。

 吹き込みあってるんだ。


震える指先を叱咤して、青年は扉を閉めた。
音を立てないよう細心の注意を払って、薄く開いた扉からの光景を遮断する。

それから眩い光にあてられて呆けている脳みそを、頭を叩くことで物理的に刺激して、ふるふると三度首を振って歩き出す。

静かに恋を失った。

それは悲しさや痛みでなく、ひどい切なさだけを青年に残した。


少女にひたりとくっついたあの人の輪郭が、朧な金色に縁取られ、次第に少女と融け合っていく様が、瞼の裏にくっきりと焼きついている。

そういうことだ、と漠然と思う。

 黄金色の世界の住人は、黄金色の光の中で生きてくんだ。



自分は、それを眺めるだけでいい。



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20090429:加筆・修正