その存在を思い描く時、僕は、一枚の絵を連想する。
四角い窓枠に切り取られた中で、あわくにじんだ色合いに包まれている彼女を。


::: quadro 01 :::


パステルは愛しいものを護るかのように彼女に寄り添う。
見る度に目を瞬かずにいられないのは、僕には決して寄り付きはしない色だと知っているからだ。知っていながら目をやった瞬間決まって、目がかすむのも承知しているのに、それでも視線が吸い寄せられてしまう自分の行動を誰に向けてでもなく言い訳する。

彼女がそこに居たのなんてただの偶然だ。

湯気に押し上げられた鍋の蓋が硬い音をたてた。あんまりにいいタイミングだったから、後ろめたくなりながら蓋を持ち上げる。味の染みた美味しそうなメバルの煮付け。
窓の外で彼女と談笑している、同じく優しい色に愛された、釣り好きな彼がくれたもの。
菜箸で、鍋から直接欠片を口に運ぶ。我ながら上出来の仕上がりだ。行儀がいいとは言えない食べ方けれど、一人暮らしの男の食事などこんなものだろう。
何より僕は、美しい皿によそって飾りたてるより、味気ない鍋から直接こうして食べるほうが、素材そのものの味が見られて好きだった。

もう一口、甘辛く煮たそれを含んだ時。
楽しげな音が窓の隙間から室内にはじけて。

「タオさん、すごい!大きいよ」

外の景色に目を向けた。とりどりの草花や、やわらかい日差し。春特有の寝ぼけた色合いの中、けれどそれに埋もれてしまうことなくはしゃぐ人と、微笑む人。
水色の彼は器用に釣り針から魚を外して、彼の物ではない赤色のバケツに放つ。彼女は幾度か瞬き首を振ったけれど、結局は、何事か呟いた彼の言葉に眦を緩めて、笑った。
幸せそうな顔。表情に色があるとしたらきっとあわくて、薄い桃色のようなそれ。

舌の上で転がした魚が今度は少し苦く感じた。
もしかしたら味付けを間違えたのかも知れなかった。



「チハヤ、さかな」
「魚?」
「あ、うん。おばあちゃんが、チハヤと買出し行ってこいって」

十二時過ぎ、料理の仕込みのため早めにキルシュ亭に入った僕に、そう言ってマイが渡してきた一枚のメモを受け取った。量も大きさも男手が必要なほどではないけれど、ユバ先生がこうして僕とマイを何かと一緒にさせたがるのも初めてのことではなかった。
その理由について僕は、ずっと知らないふりをしている。

「了解。外で待っててよ」

紺のエプロンを素早く着け、透明な容器を手にして宿の扉を開ける。道に佇んでいたマイが振り向く時、桃色のスカートの裾がふわりと揺れた。

「それにしても。営業中に買出しなんて珍しいことさせるね、ユバ先生も」
「何かね、急に大量に魚料理の予約が入ったの」
「へぇ。何でまた」

さして遠くはない漁協への道のりを歩きながら訊ねる。しかしながらこの時僕はそこに深い興味を抱いていたわけではなく、会話上の流れから出た、殆ど上辺だけの問いだった。
んーと、と前置いて、細い指を顎に当てたマイは言う。

「タオさんが夕食を予約したの。確か、二人分よ」

後半の科白に心のどこかが疼く。わけの判らない過剰反応。
どうにかそこを落ち着かせようとして、容器を強く握った指が白む。甲斐あって、面倒なざわめきを表情に出さずに済んだらしかった。
僕の密やかな機微に気付かないマイは話を続ける。

「まあ多分リーナさんとだよね。あの二人、時々お昼も一緒に食べてるし」
「…え?」
「えって…あ!そっか、チハヤはいつも3時くらいにお店来るから知らないんだね」

予想に反した名を耳にして疑問符が漏れた。
僕の知らないことを、僕に教えられることをひどく嬉しそうに、声音を華やがせるマイ。

「タオさんとリーナさんの仲の良さは結構、有名なんだよ。休みの日には一緒に釣りしてるらしいし、お互いの店の定休日にはどっちかが、どっちかの家に遊びに行ってるんだって!」
「へぇ…、そうなの」
「漁協の人たちが言うにはね、タオは今日決めるつもりだろうって!」

恋愛話はいつだって女の子の大好物だ。うまく行くといいよねと、二人の結末を楽しげに、どこか浮かれたように口にするマイを置いて、僕はもう、全く違うことを考えていた。

頭の中に蘇る光景。
額縁のような窓枠の中、穏やかな色に染まったそこに、いつも青年と共に位置している少女の存在。それを別の女性に置き換えてみた。
悪いというわけではない。けれどどうしてもしっくりとこない。
心を占有する風景の一部を取り替えてみても、異質なものにしか感じられなくて。それどころか、自分だけが知っていた美しいものを、乱されたような変に不快な気持ちになった。



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20080721:加筆・修正