心の中で唱える言葉がある。 決して明かさないように。彼にばれてしまわないように。 あんまり丁寧に扱ってしまうから、もう、それが大切にするがゆえなのか。極力触れないでいるためなのか。自分でも判らなくなってしまったくらい―――ひっそりと。 ::: Secret Voice 01 :::今アカリが身をおいているのは、お決まりのパターンの恋愛話だ。 甘く切ない恋を描く少女漫画などで、易々題材にされてしまいそうな、ありきたりの話。 「…でさ、なんかつい、目で追っちまうんだよな…」 目前の青年が、恥じるように目を伏せる。それは、ルークという名をいただいた、いつも溌剌としている印象の強い青年にはいささか似合わない所作だ。けれど少女には嗤うことなど出来なかった。 グラスの中身を一口、喉に流し込む。沁みるように心臓が痛むが無視をした。 「でも、…あの人には、恋人がいるって聞くけど」 「噂だろ?本当かどうかはまだ判らねえじゃん」 獣を思わせる黄金のつり目が、アカリの言葉を否定した。アカリは溜息をつき、もう一口飲み下そうとグラスを傾けかけて、ようやく中身がないことに気付く。 「あ……チハヤ、おかわ」 「やるよ、オレの」 カウンターの向こう側、流し台に向かい洗い物をしている青年の名を呼ぶが、少女に差し出されたのはルークからの、飲みかけのグラスだった。 目を瞬くアカリに、やや強引に押し付けるように渡してルークはテーブルに顔を突っ伏した。 「むしろ、飲んで。…なんかオレ、今日飲む気しねえ…」 バンダナから覗く髪は、その先端までしょげ返っているみたいに見える。言葉もなくアカリが渡されたグラスを両手で弄んでいると、いきなり勢いよく立ち上がったルークは、少女の顔を見下ろしてくしゃりと笑った。 「悪い…オレもう帰るな」 「…ん。気を付けて」 にかっと笑うルークは、元気がいい証拠。けれども今のようにくしゃっと顔を歪ませるのは無理をしている印だ。無意識なのか、人を笑顔で退けることに長けているルークの、それなりに付き合いが深いアカリだからこそ見分けられる特性だった。 カランとベルを鳴らして扉が開き、ルークの背を追うように閉まった。 一人テーブルに残されたアカリは俯いてグラスを見つめる。と、不意に伸びた手がそれを攫い、開いた少女の掌、空白を埋めるように新たなグラスをそっと持たせてきた。 「…チハヤ」 「鈍感ルークはまだ気付かないのかい?」 「え?」 ポンと転がした言葉の後、ルークの飲みさし、グラスの中身を一気にチハヤは仰いだ。この青年は、少女のような美麗な見た目に反して恐ろしく酒に強かった。 出来ることなら自分も浴びるように呑みたい気分だ。だが、頻繁に飲みに来る割に酒に強くないアカリは、少しの羨望を含んだ目でチハヤを見やって、それから一度だけ頷く。 「うん。そうみたい。端から見てたらもう…百パーセント恋愛感情なのにね」 「そっちもだけど、僕が聞いてるのは君のことさ」 「…、何の話?」 「ちょっと。僕とルークを同等に扱うのはやめてよ」 気付かないわけないだろ、と続けるチハヤ。彼がくれた可愛らしい桃色のグラスを、アカリはぎゅっと握りしめた。 真向かいのイス。先ほどまでルークが腰掛けていたそこに、身を投げるように座ったチハヤが、こちらを見ずに言葉を続けてくる。 「君もあえて隠しているようだけど。今のままでいいのかは疑問だね」 「…わたしも、それは…判ってるよ」 これ以上の言及を拒絶するためにグラスを口元まで持っていく。しかし、先ほどまでちびちびと飲んでいた酒が思いのほか彼女を酔わせていたらしく、あと一歩というところで急に気分が悪くなってしまった。頭と視界が少し揺れる。 それでも、チハヤの前で弱音を吐くまいと、身体の訴えを無視して中の液体を飲んだ。 「…チハヤ、これ」 後頭部で両手を組んでいたチハヤが、ちらと視線を投げてくる。悪戯っぽい瞳。 「流石に気が付いた?特製リンゴジュースなんだけど」 普段の営業用の顔はどこへ行ったのか、刺々しく歯に衣着せぬ物言いで、チハヤはよくアカリに構ってくる。けれど時折見せられる、さり気ない気遣いはいつも少女を癒した。 「…わたしはお酒を頼んだのに…」 それなのについ、零れてしまった意地っ張りな台詞を、青年は軽く笑っていなす。 「冗談。誰が君を運ぶ羽目になるのか、考えてから物を言ってくれる?」 過去、一度だけではあるが、実際チハヤの世話になったことがある。そのため反論出来ないアカリは唇をついと尖らせて、ジュースを一気に飲み干す。 普段のチハヤの様子からは遠い、素朴さと優しさの滲んだ味だった。 「あ、これ。いいかも」 「本当かっ」 プラリネの森にて。栄養豊富そうな粘土質の地面に、まばらに生えているハーブの一つを摘んでアカリは言う。すぐに、異様な食いつきでルークが言葉を被せてきた。 「うん、色よし、形よし。これならお眼鏡に適うんじゃないかな」 「うぉおー!よっしゃあ!ありがとなアカリ!」 「いいよいいよ…て、わっ!」 摘み取ったハーブを渡す。と、喜びのあまり抱きついてきたルークに思わず身を捩った。しかし、少女の無意識の抵抗などものともせず青年は全身で感情を表現してくる。 普段、言動のどれもが、まるで子供のようなルーク。けれど胸は広く、腕は逞しい。 どきどきするなと言うほうが無理だった。 「こら。ルーク、放しなさい」 「何だよ。オレとアカリの仲だろー!」 「駄目だってば。想い人への贈り物を選んでる最中に、他の女に抱きついてどうするの」 努めて平静に、わざと低く、あえて厳かに。想い人と言う単語を強調して言葉を紡いだ。 それまでぽんぽんと気安げに肩を叩いていたルークの手が、止まる。 「…本気で彼女にアプローチするなら、そういうことも考えなくちゃ駄目だよ」 しばしの間を挟み、するり、静かに身を離したルークは苦笑した。 「だなぁ。あー、何かオレ、今まで全然気にせずしてたわ」 「寛大なアカリさんが今までのことは水に流してあげる。だから…早く渡しておいでよ」 ルークの手に納まっているものを見た。 色づきのよい、瑞々しいハーブ。時々、薬を調合したりもする彼女ならば、きっと貰って迷惑なことはない。切れ長の瞳を柔らかく緩ませて、喜んでくれるだろう。 大きな深呼吸。それから、自らの両頬をぱんっとてのひらで打って。心を決めるための、一連の動作をこなしたルークは、アカリの頭に手を載せて破顔した。 「ありがとな!お前はオレの最高の友達だぜっ」 そのまま、返答も待たず駆けていく青年。正直助かった心持ちがした。 ずくんと痛んだ胸の悲鳴に、つい瞳が滲んでしまったから。 足音と気配が完全に感じられなくなってから、アカリはごし、と目元を拭う。 目に沁みる夕日。 染まった空の端を見て、どうしてか、いつかの桃色のグラスを思い出した。 NOVEL | NEXT 20080727:アップ |