判らなかった。どうすればいいのかも、どうしたいのかも。何一つ。
ただ焼け焦げた胸だけが身体の奥でじくじくとうずくまる。それがひどく痛かった。


::: queimadura 02 :::


あれ以来、またアカリの姿を頻繁に見かけるようになった。そしてそんな時には大抵、タオの姿が共にあった。うすうす感づいてはいたが、自分はそれまで避けられていたのだ。それも、徹底的に。
自業自得とも言える事実を再確認して、ルークの胸は痛みに震える。
そうされたとして、何を言える資格も彼にはないのだ。加えてアカリとタオ、二人の仲がどう進展しようとも、それに関わることは許されない。

真っ暗な闇に、突き落とされたような気分だった。

日に日に苛立ちを募らせるルークの内情に、いやでも気付いてしまうのだろう。恋敵であるはずのボアンが、時折気遣わしげにこちらを窺うのも知っていた。見返さないのはうまく笑える自信がないからだ。それどころか、もしかしたら当り散らしてしまう恐れもあった。
だからボアンが、積極的に会話を持ちかけてこないことに、ルークは密かに感謝していた。


ところが、である。意外な人物が彼に声をかけてきた。


「随分と、らしくない顔をしているな」

毎月22日のフリーマーケット。前日深夜まで作業に耽っていたルークには、生憎と今日こなす仕事が少なく、持て余した時間をそこで潰していた。そんな彼を見るなり言い放ったのが、各店舗の見回りをしていたギルだった。
不意を突かれた形になったルークは、何の防御壁もないままで。刹那瞠目して頬を掻く。

「…よう。お疲れさん」
「…今のお前に労いをもらう気にはなれないが」

腕を組み眉間に皺を寄せてこちらを見るギルの態度は、ともすれば高圧的だと誤解されそうになるが、ルークはそれが彼の心配しているというサインであることは知っていた。

「そんな疲れた顔してるかな、オレ」
「違うな。疲弊と言うよりは…磨耗しきった表情をしている」
「まもう?」
「今にも神経が擦り切れそうに見える、と言うことだ」

はあ、と聞こえよがしに息を吐いたギル。ルークは素直に黙りこくってしまう。誤魔化し笑いを浮かべる余裕もない自分に、もどかしさと苛立ちばかりが募る。
そんな思考回路でも、ギルが声をかけてきたことが偶然ではないことくらい判った。

「おい。ルーク」

ギルはおもむろに立ち止まり、ルークを振り向く。言葉を交わしながらも、邪魔にならない場所を意識していたら、二人の立ち位置はいつの間にか広場の片隅に落ち着いていた。


「失望させるな。いつからお前はそんなに意気地なしになったんだ?」


呆とギルの後ろを歩いていたルークの鼓膜に、その台詞は決して優しくなく響いて。
ああ、駄目だと抑えていたものが沸々心に込み上げたらもう、彼が吐き出せるのは無遠慮な言葉たちだけでしかなかった。

「…意気地があるとか、ないとかの話じゃねえよ」
「じゃあ何だ。遠慮か?負い目か?」
「……別に。オレはお呼びじゃないってだけの話だ」
「つまり、引き下がるのが美徳だなどと、お綺麗な精神論を掲げるわけか」

ギルは言葉を飾らない。だからそれは、時と場合によっては辛辣で、鋭利な棘のような印象を対象者に与えた。ましてや今のギルは、ルークの不安定な状態を知った上で意図的にそうしているようだった。

お前は何も知らないから。

口をついて出そうになった台詞は、けれど音とはならなかった。出来なかった。
身勝手にアカリを奪って、そんな彼女を傍へと望む男に、一方的に嫉妬している、なんて。

「…アカリが」

今までの会話で初めて紡がれた固有名詞に、ルークは肌の表面がちりりと痛むのを感じた。顔を顰める。それをギルは見ていない、見逃したはずはないのに、重ねるように彼女の名を結ぶ。

「アカリが、島を出たいと」
「……、は…」
「父上は酷く嘆いている。だが彼女の意志は固くてな」
「うそだろ」
「嘘なものか。先日も僕が直々に話を付けに行ったが、無駄に終わった」


シマヲデル。何だそれ。
知っている単語だ。ルークでも判る簡単な言葉が連なってその文章は出来ている。それでも、青年の頭は意味を噛み砕くことを拒んだ。


「何故お前が知らないんだ」


愕然とするルークに振りかけられたのは、本日初めてギルが垣間見せた苛立ち。

「引き止めた時、彼女は泣いた…誰かを傷つけるだけだと。判るか?あのアカリが泣いたんだ」
「判るかよ!…判んねえよ…」
「―――お前は馬鹿か!自覚しながら、伝えもしないで、何を終えた気になっているんだ!」

声を荒げてギルは言い放つ。頬を打たれたような衝撃がルークの身体を貫いて中心に響く。
激昂した辛口アドバイザーは、鋭くねめつけながら尚も言葉を重ねてきた。

「二人の間に何があったかは知らないがな、お前が何も成し遂げていないことだけは判る。嫌でもだ。一人いじけてメソメソと…こんなところに立ち寄る暇があるならさっさと行け」
「…行け…ったって、どこにだよ」
「アカリのところに決まっているだろうが!」

長い付き合いのギルだ。そのギルの、燃え盛る炎のような怒りを、ルークは初めて目にした。風のように静かな、厳かな怒りの姿ではなく、ごうごうと音を立てて彼は立腹している。
先日、垣間見てしまった、平素穏やかなタオの激情も、今目前のギルの激情も、容易く呼び起こせてしまうのがアカリという少女なのだった。
控えめで、けれど妙な存在感があって、どうしてか人の目を惹きつける。

酷いことをしたから。ボアンの気持ちに気づいたから。タオの想いを知ってしまったから。
だから、お呼びじゃないだなんて、本当に引き下がれるのか。


馬鹿を言えよ、そんなの―――最初から欲しいに決まってる。


「あー……くそっ!何かもう、あれこれ面倒くせえ!」

悪態をつきながら、息を吹き返したルークの瞳を、内心ほくそ笑んでギルは見ていた。
威勢良くがりがりと頭をかく青年は、拍子にずれたバンダナを煩わしそうに毟り取った。

そして、駆けていく。

こそばゆい礼の言葉も、ギルの散々な言い様に対しての文句も、そこにはなかった。

ざっぱにまとめられただけの髪と釣りあがった金目の、ひとつひとつのパーツが馬鹿みたいに派手派手しい、けれども雄雄しい生命力に満ちたルークの後姿を目に、残されたギルは口角をあげる。どこか皮肉げで、それでいて嬉しげな表情だった。

「うまくやれよ。この島の人口が減るのは困るからな」

彼の本音は皮肉にくるまれて見えない。それでも、ギルはそれを望んだ。
冷たくなった風が、或いは背を押し、或いは蓋をする。

けれどそんなものでは、ルークのやけどは癒されない。

冬はもう、すぐそこだった。



BACK | NOVEL | NEXT

20080915:アップ